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上洛(じょうらく)とは?わかりやすく理由と目的を解説

上洛とは、簡単に言うと京都へ行くこと

地方から日本の中心地である京都に向かうことを指し、将軍が京都へ行く行為を「京へのぼる」と表現したことに由来しています。

「洛」は京都を意味する字であり、「上洛」は今でも京都へ行くことを示しています。

この用語は、京都が中国の古都「洛陽」になぞらえて「洛陽」「京洛」と呼ばれたことから来ており、文字通りには「洛(京都)に上る」を意味します。

戦国時代には、上洛は大名が軍勢を連れて京都に入ることをさし、これは天下統一の第一歩と見なされていました。

大名が上洛する理由

敵を排除して中央政権を掌握し、朝廷との信頼関係を築き、さらには天下の平和を守ることにありました。

これらは朝廷への奉仕にも貢献するものでした。

例として、織田信長は35歳で上洛し、天下統一への道を進みました。彼は上洛を通じて自らの力を示し、他の大名を服従させました。

また、徳川家康も上洛し、自身の地位を確立しました。

上洛する目的

・幕府から守護職を任命され自己の領土管理の正当性を確立する
・朝廷から官位を授けられ権威や影響力を強化すること、
・大軍を率いて京都に進出し将軍の武力と権力を示す
・朝廷との信頼関係を築き、幕府と朝廷の関係を修復する
・守護大名同士の連携を深めて幕府に対する反乱を防ぐ
・反乱を鎮圧する際に京都にいることで動員が容易になる
・天下の平和を守ることで朝廷への奉仕に貢献する

京都に進出することは、全国に大きな影響力を持つことを意味し、天下統一への重要なステップとなります。これらが、大名が上洛する主な目的です。

上洛するためには

朝廷や幕府に対する献金と、その地域で一定の力を持つことが条件でした。

上洛が大名にとって非常に重要な行為であり、それに必要な費用を惜しまなかったからです。特に戦国時代には、上洛には膨大な費用がかかりました。

これには、軍勢を京都に導くための物資調達、兵士への給与、途中での宿泊費、そして朝廷や幕府への献金など、多岐に渡る出費が含まれています。

これほどの費用をかけることが、当時の社会における権力の象徴であり、天下統一を目指す上で重要な手段だったことを物語っています。

上洛の反対語

「下洛 (げらく)」これは京都を離れることを意味します。「都落ち」も同様に、都から地方へ向かうことを指し、上洛の反対の概念です。こ

れらの用語は、大名が京都を後にし、自らの領土へ戻る行為を表しています。

まとめ

戦国時代の大名が上洛を通じてどのように力を示し、天下統一に向けて進んでいったのかを知ることで、日本の歴史の一面をより深く把握できます。