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「王様の耳はロバの耳」の使い方│あらすじや解釈、教訓は?

日常的な会話でも、「王様の耳はロバの耳」を使うことがあります。

「隠しごとはどこからか広まること」「言ってはいけないことをこっそり言うこと」などの意味で使われることが多いイメージです。

王様にもコンプレックスがあったように、「高い地位の人でも、本質は普通の人と変わらない」の意味で使われることもあります。

王様の耳はロバの耳」の解釈

物語は、立琴の神と笛の神がどちらの音が素晴らしいかで争っていたところ、王が自分の耳には笛の音がく響いたと言ったことから始まります。

そのことに怒った立琴の神は、王の耳をロバの耳に変えてしまいます。このことに恥ずかしくなった王は頭巾を被って耳を隠すようになります。

しかし、ただ一人その秘密を知る理髪師が、掘った穴に向かって「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶと、その秘密は町中に知れ渡ってしまいます。

このお話は、外見を気にすることの愚かさと、他人を許すことができる寛容さを説いたお話です。

また、勇気を持って正直に真実を明かすことで深い信頼を得るという教訓も含んでいます。

< h3>「王様の耳はロバの耳」の教訓

「見かけや地位によらず、人々は基本的には同ような感情や問題を持っている」ということです。

さらに、「隠しごとはどこからか広まる」という解釈もあります。

これは、秘密はどこからともなく広まるもので、一度口に出した秘密は思わぬところから広まってしまうという教訓を示しています。

また、「言ってはいけないことをこっそり言うこと」という解釈もあります。

ある意味「人の口に戸は立てられぬ」「悪事千里を走る」などの諺に近い使われ方をする。

王様の耳はロバの耳のあらすじ

むかしむかしのおはなしです。

ある国のお城に、ひとりの床屋(とこや)がまねかれました。

王さまが髪を切ってほしいそうです。

でも、王さまは床屋の目をじっと見ると言いました。

「いいか。ここで見たことは、だれにも言ってはならぬ」

床屋がふしぎに思っていると、王さまはかぶっていたぼうしをぬぎました。

すると、ぴょこん!

王さまの頭にはなんと、ロバの耳がついていました。

床屋はもうびっくり。お城をでたあと、誰かに言いたくて言いたくてたまらなくなりました。

しかし、王さまとの約束をやぶるわけにはいきません。

ひみつをかかえて苦しい床屋は、森のなかへ走って行きます。

そして深い穴をほり、そこへ叫んだのです。

「王さまの耳はー! ロバの耳―!」

何度も何度も、くりかえし叫びます。

やっと言えて満足した床屋は、帰っていきました。

ところが別の日に、羊飼いが森で葦(あし)の笛を作ると、笛から変な音がします。

王さまの耳は、ロバの耳。

王さまの耳は、ロバの耳。

それを聞いた子どもたちが、まねして口ずさみはじめました。

王さまの耳は、ロバの耳。

王さまの耳は、ロバの耳。

今度はそれが町にひろまり、おとなもみんな歌いはじめました。

王さまの耳は、ロバの耳。

王さまの耳は、ロバの耳。

その歌を聞いた王さまは、もうカンカン。

床屋を呼びつけてしかりましたが、そんなことで歌はやみません。

王さまはとってもなやみました。

うーん、うーん、となやみました。

やがて、王さまは町へ出て行きました。

そして町のひとびとの前で、えい! とぼうしをとったのです。

みんなはロバの耳を見てびっくり。

でも王さまは、ないしょにしていたことを打ち明けられて、すごくすっきりした気分です。

それから王さまは、王さまの仕事もやめました。

町のひとは、そんなすなおな王さまのことが、だいすきになりましたとさ。

めでたし、めでたし。

まとめ

「王様の耳はロバの耳」はギリシア神話に登場するフリギア王ミダスの物語に基づいています。

竪琴の神と笛の神がどちらの音が素晴らしいかで争い、ミダス王が笛の音を選んだことにより、竪琴の神によって王の耳がロバの耳に変えられるというエピソードが描かれています。

王様は恥ずかしくて耳を隠すようになりますが、秘密を知った床屋がそれを公にしてしまうという展開になります​​。

古代のフリギア地方を治めた著名な支配者、ミダスにまつわるものです。

この伝説では、音楽の神々が自らの演奏が最も美しいということで意見が分かれ、結果的にこの支配者が片方の演奏を選びます。

その選択が原因で、不満を持った神によって、彼の耳が異形に変えられるという物語です。

この変化に恥じ入った王は、新しい耳を隠すようになりますが、彼の秘密を知った理髪師がこの事実を広めてしまいます。

この話からは、他人を受け入れる寛容さや真実を語る勇気の大切さが教訓として伝えられます。

物語には様々な展開や結末があり、その中には神が王の過ちを許し、彼の耳を元の状態に戻すバージョンも含まれています。

また、この伝説はイソップの寓話としても広く知られており、その起源が古代フリギアのミダス王であることが指摘されています。

フリギアは現在のトルコ地域にかつて存在した古代の王国で、物語の起源がトルコであるとも言われています。

「真実を見極める力」「誠実さを持って本当のことを話す勇気」「過ちを認める謙虚さ」の重要性を伝えています。